人が違えば〇〇〇

大学の英語の授業で
毎回生徒の体験談を発表する
という授業がありました。

生徒はみんな海外在住経験者のクラス

なので、それぞれの異文化体験は
国も違えば、時期も違う
出会う人達も違う

毎回楽しみな反面
自分の時は物凄く緊張して
その日は他の人の発表が上の空〜

中東に住んでいた子の話は
生死を真近に感じたリアルな声
まるでテレビや映画の世界のよう

私はと言えば
留学生の為のツアーのコーディネーターに日本人留学生を一派一絡げにJapと呼ばれて抗議したことを除けば
至って平穏な暮らしで、とっても恵まれた環境でした。

言葉のハンディがあると
俄然張り切って何とか意思疎通を!
と、日常会話やテレビや映画に
全身耳になって吸収していましたね
若かったなぁ〜

でも

同じ日本人同士でも

家族同士でも

コミュニケーションは

阿吽の呼吸のようでもあり

言葉が足りなかったり

誤解が生じたり

は尽きぬモノ


人が違えば 異星人


ってずいぶん前に
オットが言っておりました。

通じるのが当たり前じゃない

ならば

お互いの言葉を学び

また伝える工夫や努力をする

のは、

何も外国人と外国語で話す時だけじゃない


家族だって異星人同士

って思えたら

イライラ度が下がるかしら?

犬と暮らしてと
言葉を介していなくても
伝わることってあります。

全部を語らずとも

伝わるものもある


兎にも角にも

異星人同士

って思ったら
何でも面白くないですか?

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